悩んで、迷って、ようやく見つけて、また悩んで…。今はキラキラして見える先輩社会人にも、そんな時期があるものです。今回は、今の自分にたどりつくまでの葛藤や経緯についてお伺いしました。
(2022年10月30日配信。動画はこちら)
(藥師)このトークセッションは、自分らしく生きるとか、自分らしく働くということについて考えていきたいと思います。やっぱり生きることと働くことは、なかなか切り分けて考えることはできませんが、ロールモデルとか社会人の人の話を聞くと、自分らしく生きる、働くことに、ポンって一夜でたどり着いたのかなというふうに見えてしまうときもあると思うんです。
でも、僕自身もそうですが、すごく迷ったり悩んだり、紆余曲折をしながら自分らしく生きることとか自分らしく働くということを、旅路、ジャーニーみたいに探していくというような人が多いのかなと思います。
今日はその葛藤とか旅路とかも含めて、どういうふうに今の働き方とか生き方にたどり着いてきて、これからどこに行きたいのかっていうことを皆さんと一緒に話していければと思います。
(藥師)私は認定NPO法人ReBitで代表理事をやっている藥師実芳です。社会福祉士、キャリアコンサルタントでもあります。
ReBitという認定NPO法人でLGBTQを含めた全ての子どもがありのままで大人になれる社会を目指し、20歳の時にReBitを立ち上げました。学校現場とか行政とか企業で1,500回近くのLGBTQやダイバーシティに関する研修・啓発をしたり、LGBTQの人たちのキャリア支援をしたりしています。
最近だとLGBTQでかつ精神発達障害があるダブルマイノリティ、トリプルマイノリティの人たちの福祉的な支援もしています。
私自身は、ラーメン大好き、ワンピースでいうとゾロ派、もうめちゃめちゃワンピース好きです。他にも特性で言うと帰国子女で小さい頃アメリカに住んでいたりですとか、トランスジェンダー男性、元々女の子として生まれて現在男性として生活をしているとか、発達障害のADHDという特性を持っていたりします。そのため、自分自身は複合的マイノリティ、ダブルマイノリティと言われる当事者です。今日はよろしくお願いいたします。
新島恵理子さん
アクセンチュア株式会社
マネジャー
企業の事業戦略策定・新規事業立上げ等を顧客体験起点で支援するコンサルタント。2015年にアクセンチュアに転職して以来、レズビアンであることをオープンにしている。LGBTQ アライ・コミッティにて、他企業やNPOとの連携を担うユニットのリードを務める。
(新島)改めまして、新島恵理子と申します。今アクセンチュアという会社で、アクセンチュアソングという組織のマネジャーとして、お客様にコンサルティングサービスを提供させていただいています。同じアクセンチュアの中でもう一つやっている活動として、LGBTQ アライ・コミッティの中にある小さなチームのリードをしています。
LGBTQ アライ・コミッティは、藥師さんみたいにトランスジェンダーの方だとか、ゲイの方だとか、あとはLGBTQ+の当事者じゃなくても何か自分ができることないかなってアライになってくださった方、など、LGBTQ+の領域に関心がある、課題を感じている人が集まって活動している社内のボランティアチームです。
私自身はLGBTQのLですね。女性として生まれ、自分自身は女性だと思っていて、好きになる相手は女性だけ、レズビアンだと思っています。
あと、三つ目に書いてあるライフデザインコーチ。こちらは副業として、アクセンチュアの仕事とはまた別の形で行っています。今はプロコーチの認定資格取得のための研修を受けながら、お客様にコーチングを実践しています。
仕事以外の時間では、旅行するのがすごく好きです。国内も海外も。その中でも、現地の人が暮らしているような感じで旅をするみたいなのが結構好きなんですね。
直近だと、フィンランドでフィンランド語の先生のご自宅に2ヶ月間ホームステイさせていただいたり、今年の8月に友人の結婚式に参列するためにベルギーを訪問したりしました。
あとはパートナーですね。今一緒にパートナーシップ証明書をとっている女性のパートナーがいるのですが、2人でお酒を飲んで他愛の無い話をしたりとか。本を読むのも好きで、藥師さんはワンピースがお好きなようですが、私は漫画の「キングダム」がすごく好きです。ひとり、ハイボールを飲みながら、キングダムを読んで号泣するみたいな、そんなこともしています。
新田聡美さん
日本電気株式会社
官公ソリューション事業部門 クラウド・プラットフォームソリューション統括部 主任(※当時)
新卒で読売新聞社に入社、マーケティング職と広告営業職を経験。その後外資系アドテクノロジー企業、SIerを経て2022年12月にNEC入社。現在は官公庁向けのマーケティングを担当。難病とキャリアの両立を目指す難病当事者。
(新田)皆さん初めましてよろしくお願いします。新田と申します。現在はNECの社会基盤ビジネスユニットというところで、主に官公庁のお客様に向けてマーケティングプロモーションを担当する仕事をしております。私実は結構転職が多くて、NECで4社目。NECに入ったのは昨年の12月ですので、まだ10ヶ月ぐらいです。なので、まだNEC社員としての歴は浅いんですけれども、社会人経験自体は今10年目ぐらいです。
後ほどもお話させていただきますが、私は病気による身体障害を持って働いています。
趣味は映画鑑賞です。元々メディアの営業をやっていまして、そのときに映画業界のお客様を担当していましたので、仕事の一環として映画を見まくる生活をしていました。年に100本超ぐらい映画を観ては感想を伝え、その広告、映画をPRする施策を考え、広告を売る仕事をやっていたので、そのときに訓練されてたくさん映画を見るようになりました。今でもNetflixとかアマゾンとかU-NEXTとかいろいろ駆使して、主に海外ドラマとか洋画を見ています。
あとは私も旅行が好きです。NECはIT企業なのでリモート環境が整っています。実は先月石垣島に2週間ぐらい滞在してそこからワーケーションをやってみました。なかなか良かったので、またコロナが落ち着いてきたタイミングでいろいろ旅行とか暮らすように働くみたいなところをやっていきたいなと思っています。
(藥師)よろしくお願いいたします。ということで今日はこの3人でやっていきたいと思います。新田さんも新島さんも旅行好きという共通点があって、あ、そうなんだって思ったりしながら聞いていました。
ここからは、ひとりひとりのライフチャートとかキャリアチャートとかキャリアジャーニーを使いながら、どういうふうに自分らしく働くとか生きるということを考えてきたかについてお話していければいいなと思います。
NOが100回あっても、YESを探していけば切り拓ける
僕は、20歳、大学2年でReBitを学生団体として立ち上げて、学校現場で授業をするということを始めたんです。学生サークルとして、学校現場で授業をやっていました。そして、新卒のときは就職活動をしたんです。
50社受けて2社内定いただくっていうような就活だったんですけど、みんなと少し違うところがあるとすれば、全ての企業にカミングアウトしてたんですよ。
これは言いたかったからじゃなくって、私戸籍上、今も女性なので言わざるを得なかった。だって、内定とって、いろんな書類を出したら知られてしまうから。今はそんなことがあったらいけないっていうことが言えるんだけれども、当時は内定取ってから「実はトランスジェンダーで」って言うと、「いやいやそれ書類上嘘をついているじゃないか」っていうことで内定取り消しにされたケースが、周りで何人かいたりしたから。言わないこともリスクだなって当時は思ったんですね。
今はもうだいぶ社会が変わっているから、そんなことないって信じたいんだけれど。当時言わないこともリスクだなって思ったときに、言いたかったから言ったんじゃなくって、言わざるをえなくて。全ての企業で、実は戸籍上女性なんですけども男性として生活をしています、だからこそこういうような学生サークルを立てて頑張っていました、みたいに自己PRの中で言っていたんですね。
で、企業によっては「全然いいよ」と、「性別で選ばないから」って言ってくれるところもあったんですけど、企業によっては「何?そんな人だったら帰れ」って帰されたりとか、最終面接の最終質問で役員の人から「藥師さんって子ども産めるの」っていう、それはハラスメントなんじゃないのかなというふうに思われるような質問をされたりした経験もあります。
そういうふうに、学生時代は自分らしく生きられていたんだけれど、就活のタイミングになると、自分のセクシャリティを話したときこういう風当たりがあるんだなっていうことがあって、でもそれを誰にも相談できなくて、すごくしんどいなあと思っていたことが22歳のころにありました。
内定をいただいた会社のうち、Web広告代理店に入ることにしたんですけれども、それには大きな理由があります。内定いただいた数日後に人事部長からお電話いただいて。それが「藥師さん、他の会社でトランスジェンダーだよってオープンにして働いている人がいるところも人事にヒアリングをしに行ったんだけど、そしたらこういうこと困るって聞いたのと、藥師さん入社前でも困ることあったら、これ僕の電話番号だからいつでも電話してね」っていうような電話だったんですよ。ありがたいなと思って。内定者合宿の部屋風呂どうしようってすごく思っていたし、あと人数がすごく多いから、どの範囲でカミングアウトしようと思っていたから、その時に相談できて安心しました。
セクシャリティに関わらず内定者ひとりひとりにそうやって配慮ができる会社ってすごく働きやすいだろうなあって思ったので、そこに入社を決めました。
入社をしてイチ営業として育てていただいたことを、今でも本当に本当に感謝をしています。けど僕ね、発達障害でADHDっていう特性があるっていうことを大人になってから知ったんですよ。
ADHDの僕の特性は、多動性が強いっていう特性があって。新卒で求められることが、いろいろできなかった。例えば誤字脱字なく議事録をきれいに取って、インデントとかもちゃんとするみたいなのとか。あとは1分も遅刻せずに、むしろ5分前に着席をしておくみたいなこととか。あとは紙書類をホッチキス留めしてファイルに入れて30部用意してちゃんと並べるとか。何かそういうのが全部苦手で無くしちゃったり汚しちゃったり、誤字があったりとかしたんです。
だったら入社のタイミングとかで「発達特性があるんです」ってことを言えば良かったんですけど、他の会社ではトランスジェンダーっていうだけでハラスメントとかがあったりしたから、ダブルマイノリティだって言ったら内定取れないんじゃないかなとか、仕事任せられないって思われたらどうしようとか、いろいろ心配でしたね。
発達障害があるっていうことを言えないまま入社をして働いていたから、そういう苦手分野が特性ではなくてやる気がないからなんじゃないかと思われて、結構ご指導をいただくことが多かったです。
そういった中で、すごく悲しいことを言われたりとか、トランスジェンダーであることを勝手にいろんなところにアウティングされてしまったりとかするような中で、しんどいなという思いが重なって、自律神経失調症になって休職、退職をしました。
そのとき思ったのは、発達障害でかつトランスジェンダーであるっていうダブルマイノリティの自分ってもう働けないんじゃないのかなみたいな、すごい絶望感があったんです。一方で、どこにも相談できないんじゃないかなという不安感もありました。
そこで、当時やっていたReBitを法人化して、LGBTQのキャリア支援ということで就活生の支援を始めて、そこで本当にみんなの力のおかげで少しずつ大きくなっていきました。
キャリア支援をする中で、僕自身、学生の時に、ダイバーシティに取り組む企業だったりとか、そこで働く多様な人たちとの出会いの中で自分らしく働けるんだって気づけました。そういった機会がみんなにあるといいなと思い、DIVERSITY CAREER FORUMというフォーラムを開始したり、昨年、障害があるLGBTQのキャリア支援を始めたり、いろんな人が自分らしく働けるように応援を始めたのが最近の自分です。
自分自身の経験を少しずつキャリアの中で活かしながら、自分らしく働くってことと、いろんな人たちが自分らしく働けるような応援がしたいなっていうことで今、キャリアに結びついているところがあるかなと思います。
(新島)ありがとうございました。アップダウンがすごく大きくて、ドラマみたいなお話 だなと思いながら伺いました。学生時代の話とかももう少しお話いただいてもよろしいでしょうか。
学生団体を立ち上げて、いろんなところで授業して、そのときの経験で今のキャリアに活きているもの、もちろんReBitって団体自体が今こうやってあるっていうこと自体がそうだと思うんですけど、藥師さん自身の、個人の経験でいくと、どういうところが今残っていますか?
(藥師)そうですね。無理かなって思っても、やってみると意外にできるっていうような経験が、結構活きているなと思って。初めて出張授業をしたいって思った時、LGBTQの授業をしたいと思った時、小中高校100校連続で断られているんですよ。LGBTQなんてそんな性的な話はできないとか、うちにそういう子はいませんみたいな理由で断られ続けたのが、2009年とか2010年とかだったんですね。
でもいろいろな大学の先生とかに相談して、大学で授業をさせていただくようになって。それを重ねていったら、高校に行けたり教育委員会に行けたりするようになって。今では年間200回弱ぐらい学校に行けているんですけれども。そういった経験の中で、無理だよ無理だよ無理だよってNOが100回あっても、YESを探していけば結局は繋がっていって切り開けるところがあるんだなっていうのは、経験になったかなと思います。
(新島)すごいですね。ありがとうございます。
(藥師)ありがとうございました。では、新島さん、キャリアジャーニーお話いただけますでしょうか?
ライフコーチングとコンサルティングのプラス反応
キャリアの話はもちろんですが、私自身も割と人生の中でいろいろ起きたところから自分のことがちょっとずつわかってきて、それが軸になっているみたいなところがあるので、栃木県で生まれましたというところから始めさせていただきます。
中学生の時に初恋をした相手が女性で。レズビアンは日本で結婚できないから、きっとずっと一人で生きていくんだろうと、漠然と思っていました。
それなら、なんとなく「手に職」を付けたい、そして数学か国語だったら国語の方が得意かな、みたいな中で、じゃあ弁護士かなって思って法学部を受験し合格。大学入学と同時に上京しました。
一気に環境が変わって、興味があることがすごくいっぱい出てきたんです。
法律も学んでみたら楽しいなと思い模擬裁判大会みたいのに出てみたりとか、海外ボランティアでルーマニアに3ヶ月行ってみたりとか。当時は、自分の恋愛についてはあんまり強くは考えなかったです。なんとなく気になっている子とかかわいいなと思っている子はいるけど、そんな強くは意識してなくて、興味があることにひたすら打ち込んでいたっていうのが、22歳くらいまででした。
大学に入った当初は弁護士を目指そうと思っていましたが、就活のタイミングになって、ずっと法律を極めたいとは必ずしも思わなくなったこと、4年間自分のセクシュアリティとか恋愛についてはそこまで深くは考えてこなかったこともあり、(会社を選ぶ上で)そこにこだわらなくてもいいのかな、と思って。
当時は、海外でも働いてみたい、ものごとを変えることを主導するのに関わりたいと思い、大学卒業後日系の都市銀行に就職をしました。
というのも、ものごとを変えることが大変なのは個人の経験上わかっていたので、それを後押しできるようなツールを持っているところに就職するのがいいなって思って。銀行だったらお金を持っているからものごとを変えることができるかもしれないと思って入社しましたが、そこからまたちょっと気分が下降気味になりました。
というのも、当時初めて真面目にお付き合いし始めた彼女がいたんですね。その彼女と半同棲していましたが、それを言いづらい雰囲気が職場にはありました。特に自分自身に対して明示的に言われたことは無かったのですが、例えば柔らかい口調でお話されている男性社員に対して「こっち(ゲイ)なのか」とか、30半ばでご結婚されていない方に対して「結婚しないと昇進できないらしいよ」とか、本当かどうかはわからないんですけど、そういう話を聞くことが何度かあって。
なので、職場の人みんなで土日どう過ごしたかについて話していた時も、本当は「この前彼女とこんなとこ行って、あんなことがあった」と話をしたいのに、それを男性に置き換えて話さなくちゃいけない、嘘をつかなくちゃいけない。そうやって嘘をついたら、それを隠すためにまた嘘をつかなくちゃいけなくて、それがどんどん積み重なって、なんかもうすごく気持ち悪いなって感じになってしまって。
不思議なんですけど、それが重なってくると、仕事でも自分のことがあまり出せなくなっちゃったんですね。何か意見を言うとか、何か質問をするっていうのも全然できなくなっちゃって。これはなんかうまくいかない感じがするなって思って、当時の彼女と相談をして転職を決意しました。
転職活動時は、職場で自分自身のセクシャリティを伝えても何の影響もないようなところがいいなと思い、いろんな会社の面接を受けていました。
なので面接の最後に「何か質問ありますか」と言わると、毎回「私レズビアンなんですけど、それって大丈夫ですか、受け入れ体制は整っていますか」みたいなことを常々聞いていました。質問に対する回答そのものもそうだし、「本当に何も気にしてないかな?」というのをその人のリアクションを見て判断させて頂き、最終的にアクセンチュアに転職を決めました。
転職した直後は、それまでの銀行業務とちょっと毛色が違うのもあり、まずはコンサルタントとして慣れなきゃみたいなところがあったので、カミングアウトはしていなかったんです。
少し慣れてきた頃から、ちょっとずつ、隣の仲の良い同僚とか、話を聞いてくれそうな上司とか、大丈夫そうかなっていう人に対して話をし始めて。大体の人に「そうなんだ」「今付き合っている人いるの」みたいな、なんかそういう感じで割とあっさり、いい意味ですんなり受け入れてもらって、その後の付き合いも何も変わらなくて、という経験をしてきて、なんか大丈夫そうだなっていうのがわかってきました。
最初は限られた方々にのみお話ししていたんですけれど、今は完全にオープンにしています。
転職してから金融機関のコンサルティングをずっとやっていましたが、「金融機関のコンサルティングって広い範囲の中で、このままずっとやっていくのってどうなんだろう」ってちょっともやもやする思いが出てきました。そんな頃、冒頭お話したLGBTQ アライ・コミッティでの活動をきっかけに、現在所属するアクセンチュア ソングという組織を知りました。当時は違う組織名でしたが、人やその生活に寄り添い体験にフォーカスしたサービスを提供している組織です。そこに異動し、お客様の体験をどういうふうに作っていくのがその企業にとってベストなのかとか、あるいはお客様を第一に置いた企業であり続けるためにはどういうプロセスや組織体がいいんだろうかとかを考え支援する、顧客体験を軸にしたコンサルタントに転身したことで、結構これは割と面白いなっていう感じになってきて。
そこからさらに時が進んで31歳、去年ぐらいからもっと「人」に寄り添いたいなと思うようになりました。何かを買ってもらうとかじゃなくて、その人の人生とか物語みたいなものだったり、その人の価値観だったりに興味があるなってことに気付いて。コーチングやリーダーシップ開発の研修を提供しているCTIジャパンという機関を知り、去年からそこでコーチングを学び始めて、今に至っています。
今は、ライフコーチングとコンサルティング、どちらもやっていますが、それぞれに良い科学反応が起き合っているっていうのもあって。これは結構面白いかもということで、曲線がグイっと上がっている感じです。
(藥師)ありがとうございます。まずは前職と今の職場で心理的安全が違うのかなと思ったんですけど、心理的安全が変わることによって仕事のパフォーマンスとか働き方とかってどういうふうに変えましたか。また、そこからこう生きるとか働くっていうビジョンとかこうありたいっていうものまで何か影響があったりしましたか?
(新島)ありましたね。一個目の方でいうと、私自身が多分嘘つくのがあんまり得意じゃないっていうのもあるんだと思いますが、何か一つ嘘を言ったりとか隠したりとかするようになると、なんかそれが連鎖的に重なっていくっていうか、なんかどんどんそういうモードになっていっちゃうことがあったんです。
ですが、アクセンチュアだとトークストレートっていう文化があって。本当にそれがお客様のためになる、そのお客様の変革のためになるのであれば、きちんと発言して議論しようっていうカルチャーがある会社で、それこそ年次とか、職位とかも関係ありません。
自分自身まだそこまで意見を出せていなかった時でも、周りで例えばスタッフクラスの人とマネジャーが対等に議論しているのを見て、「ああこういう風に言っていいんだ」と少しづつ気づき始めました。
自分の意見や質問を口に出していいんだなっていうふうにも思いましたし、話すことで自分自身も意見を出しやすくなって、それが結果的に「新島さんってちゃんと考えているよね」とか「自分の意見を持っているね」のように、お客様に段々評価されていくっていう。そういう結構いいループみたいなのが、あったなっていう感じです。
(藥師)ありがとうございました。新田さん、新島さんのお話しについて何か感じたことなどありましたでしょうか。
(新田)新島さんお話ありがとうございました。すごくエネルギッシュでパワフルで、めちゃめちゃ前向きに生きる力を感じて、楽しく拝見拝聴していました。
お聞きしたいなと思ったのは、1回転職をされていて、面接の場でその会社の受け入れ体制だったり相手の反応だったりを見られていたという点についてです。具体的にはどのような反応だとこの会社良いと思えたりしたのでしょうか。
(新島)ありがとうございます。相手の反応としては、私の場合、まずその人自身がネガティブに捉えていないかどうか、を気にしていました。
批判的な雰囲気じゃないかな?とか、相手との関係性を良くするためじゃなくて本当に興味本位で「夜ってどうしてるの?」みたいな質問を聞いてくる人じゃないかな?っていうのを、最初は拝見していました。そういう雰囲気って、単純に驚いているのとは違うかなと思うので。
制度や仕組みとしては、レズビアンで言うと、残念ながら日本はまだ同性婚は法律でできないので、パートナーシップの制度があるかとか、それはパートナーシップ証明書みたいなものがない自治体でもできるかとか、そういうところを確認していました。
あと、どうしてもいろんな方がいらっしゃるので、SOGIハラ的なことを言われたときにそういうことがあったよって相談できるところがあるかっていう、大きくその二つを私は気にしながらお話していたなと思います。
後半では、新田さんのキャリアジャーニーや仕事や人生の歩み方について考えている方々へのメッセージなど伺います。
(後編へ続く)