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Update on :2023.09.06

自分らしいキャリアを探す旅(後編)

悩んで、迷って、ようやく見つけて、また悩んで…。今はキラキラして見える先輩社会人にも、そんな時期があるものです。今回は、今の自分にたどりつくまでの葛藤や経緯についてお伺いしました。
(2022年10月30日配信。動画はこちら

 

新島恵理子さん
アクセンチュア株式会社
マネジャー


企業の事業戦略策定・新規事業立上げ等を顧客体験起点で支援するコンサルタント。2015年にアクセンチュアに転職して以来、レズビアンであることをオープンにしている。LGBTQ Allyコミッティにて、他企業やNPOとの連携を担うユニットのリードを務める。

 

新田聡美さん
日本電気株式会社
官公ソリューション事業部門 クラウド・プラットフォームソリューション統括部 主任


新卒で読売新聞社に入社、マーケティング職と広告営業職を経験。その後外資系アドテクノロジー企業、SIerを経て2022年12月にNEC入社。現在は官公庁向けのマーケティングを担当。難病とキャリアの両立を目指す難病当事者。

 

前編ではみなさんのご経歴や、新島さんのキャリアジャーニーについてお話しをうかがいました。後半では新田さんのキャリアジャーニーから伺ってまいります。

病気と向き合いながら働くということ


(藥師)続きまして、ぜひ新田さんにもキャリアジャーニーをお話いただけますでしょうか。

(新田)はい、私は難病をきっかけとした身体障害を持っています。この悩みというかマイノリティを抱えたのはすごく最近、ここ2年、3年ぐらいの話なので、今日はむしろ先輩からいろいろ聞きたいなという気分で参加しています。



この年表を難病とキャリアの両立苦闘史という風に呼びたいぐらいですが、私は、2012年に大学を卒業して新卒で新聞社に入社しました。新聞社は、当時は記者とビジネス部門で採用が別になっていました。私は広告局というビジネス部門で、新聞広告、ニュースサイトなどの広告営業や、シンポジウム等のイベントを実施して、マネタイズをする仕事をしていました。

新聞社の仕事はすごく楽しくて、自分としては結構向いているなと思っていましたが、この先、30年40年働いていくことを考えたときに、やっぱり紙メディアの限界を感じることが増えていきました。

まだ転職が可能でキャリアアップができる時期に1回外に出て、デジタルを学んだ方がいいのではないかと思い、外資系のアドテクプラットフォームの会社に転職して、広告営業職として働き始めました。

今までとは全く違う世界で、スピードも速くてテクノロジーも素晴らしくて、ワクワクしながら働いていたんですけれども、ちょうどその頃、転職してこれから頑張るぞっていうときに、体調が、症状が目で見える形で出てきてしまいました。

具体的には、耐え難いような頭痛みたいなものに襲われるようになってしまいました。でも私、普段は別にそんな頭痛持ちではなかったんです。ちょっとおかしいなって思いながらも、普通の頭痛薬を飲んで過ごしていたんですけれども…。

ただ、単純な頭痛ではないらしいなと自分で思い始めて。というのは頭痛薬を飲んでも全然改善しないのと、左手と左足が異常に痺れていたんです。そこで、やっぱり脳神経系の何かの病気なんじゃないかと自分で疑って、近くの病院に行きました。そこがMRIとかCTをたまたま撮れる病院だったので、検査をしたところ「病気の疑いがあるので大学病院に行ってください」と言われて。大学病院に行って、そのまま2週間ぐらい入院になって、ありとあらゆる検査を受けて、その結果、難病であるということが診断されました。

原因不明で根源的治療法がないのが難病ですが、私の場合は、今すぐ命に関わるような危機的な状況ではなかったので、うまく付き合っていくしかなく、一旦退院をしました。

その後は1ヶ月に1回とか2ヶ月に1回のペースで今も通っていて、このときから、難病との付き合いが始まっています。

自分のキャリア軸で言うと、今までずっと広告営業という仕事をやってきました。広告営業は、毎日毎日新しいことが起こり、お客様である広告主と知恵を絞りながらどんどん仕事を回していく、エキサイティングな仕事でした。

ただ、自分の病気の予後がよくわからなかったり、だんだん運動障害が悪くなると言われ、足で稼いだりとか現場に出向くみたいなことが必要な仕事をずっと続けるのは、持続可能な働き方ではないと思い、職種転換を考えました。

広告営業の経験を活かしつつ、内勤の職種ですぐに思い浮かんだのはマーケティング職でした。たまたまマーケティング担当を募集している会社があったので、そのタイミングで転職をしました。転職してからも2ヶ月に1回ぐらい病院に行きつつ、リモートで働きつつという生活をしていました。その時、定期診断で主治医と話していたら「あなたは見た目上は健康かもしれませんが、一応基準としては身体障害者手帳を取得できるレベルにあります。身体障害者手帳の申請をされますか」とお話をされて、そのときは健常者と障害者と自分の間に社会的に線が引かれたような感じがしてすごくショックでした。

結果的には身体障害者手帳をとってよかったなと思っています。悩んだ末に、障害者手帳を取得することにして、その後しばらく働いていたんですけれども、たまたまご縁があって、NECの新しい部門でマーケティング担当できる人を探しているとお声がけいただき、昨年の12月にNEC入社しました。

突然難病が襲ってきて、自分としては仕事を頑張りたいなと思っていたときに、仕事のキャリアアップという悩みと難病との向き合いっていうところを二つ対峙しなくてはいけなくなりました。


全く健康だと思っていた自分が、いきなり病気と診断されて困ったことが二つありました。一つは、難病とか病気を持つ人は多様であるのに、「病人」「障害者」に対して一様に「仕事を頑張らなくていいじゃない、もうゆっくりやりな」みたいな価値観を押し付けられがちなところです。最初はそれにすごく戸惑いました。

二点目は、自分自身もこれは間違っていた見方でしたが、難病と言うと、みんな寝たきりで全然動けなくて、とても苦しい環境にある、と想像しがちです。けれど、実は人によって症状や重さが違います。そしてその部分がまったく知られてないなと思っています。

私は見た目は健康で症状もすごく軽くて、日常生活はそんなに問題なく送れているので、説明の仕方をちゃんと工夫しないと、必要以上に重く受け止められてしまうことがあります。転職とか、いろんなフェーズにおいてもマイナスに働くことが多かったです。


その上で、これまでの自分の経験から、障害と仕事の両立を考える上でのポイントを3つシェアしたいなと思います。

1点目は、体力負荷が少ないリモートワーク環境。やっぱり普通の人より歩くペースも遅いですし、通勤によって体力がかなりの割合で奪われてしまいます。リモート環境の方が自分の体力を効率的に使えるので、結果的にアウトプットも良くなるなと思っています。

なので、制度的にも雰囲気的にもそれを実現できる会社であってほしいなと思っていまして、今のNECは出社頻度月1回程度ですし、先ほどお話したようにワーケーションなどもできるので、とても仕事をしやすいなと思っています。

2点目は、病院に行く機会がすごく多くて、病院の度に有給を使っているともう全然足りなくなってしまいます。なので、時間の融通がつきやすいフレックスタイム制だったり、通院休暇などの制度はすごく助かります。自分が転職する際にもチェックしていた項目です。

3点目は、コミュニケーションです。私は、基本的には自分の病気に関する情報をオープンにしています。通院に行く日程も上司にお知らせをしていて、その結果主治医から何て言われましたとか、次回はこうですみたいな結果をチャットしたり、1on1で報告しています。

そもそも、NECに転職しようかなと思ったきっかけの1つの出来事として、面接の際にダイバーシティ&インクルージョン担当の方が同席してくださって、そこで会社としての配慮だったりとか、支援体制みたいなところを確認し合えたという経験がありました。その時に、上司や体制がすごく受け入れてくれそうだなって思えました。
 

好きなことは何か、面白いことは何かをとことん考える

 

最後に、キャリアとの苦闘史から学んだことの中から、皆さんにお伝えしたいことが2点あります。


 
1点目、これは病気とかマイノリティっていう属性を抜きにしてもすごく重要な部分だと思っていますが、自分が好きなこととか面白いと思えるものは何なのか、とことん考えていくことです。スキルは訓練すれば誰でもつけられる側面はありますが、これが好きとか、これは面白いと思える感性は、変えにくく、生まれ持った個性だと思うので、それを仕事との適正を考える要素にするのがいいのかなと思います。

2点目は、特に障害やご病気を持っている方が働く上でお伝えしたいのですが、できることとできないことがどうしてもあるということと、その説明の仕方を工夫し練習することも重要だと思っています。

どんなに理解のある会社でも、病気や障害をまるごと理解してくださいというのはちょっと無理があります。なので「私はこの部分はできないけれども、この部分はできます」とか「この部分は得意です」みたいなコミュニケーションをすると、認識齟齬が減って、うまく自分のことを知ってもらいつつ、自分も配慮が得られる仕組みになると思っています。

(新島)ありがとうございました。もし可能であれば、2つお伺いしてもよろしいでしょうか。1つはキャリアの最初に新聞の営業職から始められたとおっしゃっていましたが、ここのスタートのきっかけ、それを選ばれた軸みたいなものがもしあれば、教えていただきたいです。

あともう1つは、難病と指定されたところから、今のNECさんに入られたところのお話です。難病と指定されショックを受けてから新しいキャリア、NECさんに出会われたことのきっかけだったり、ご縁というふうにお話していたところ、もう少し詳しくお伺いできればなと思いました。

(新田)ありがとうございます。1点目、なぜ新聞社を選んだかというところ、理由としては二つあります。

元々、メディアやジャーナリズムになんとなく興味があって、そういった業界の面接があるなら受けてみようという気持ちがあったこと。あともう一つは、就活していたときの軸として、やっぱり当たり前のサービスとか当たり前のインフラみたいなところに従事していきたい気持ちがありました。そのため、マスコミの中でも新聞社とかNHKとか、そういった公共系の企業や、鉄道会社などのインフラとか、そういう会社を受けていました。

2点目に関しては、病気発覚時の最初のショックは結構大きくて、自分もすごく落ち込みました。そこから浮上したきっかけっていうのは、やっぱり周りの友達、家族の支えでした。あとは、映画とか、本とか、割とストレス発散の手段は持ち合わせていたタイプだったので、異常に本を読んだりとか、何も考えず映画だけとにかく見るとか、リアルの人生がつらいのでちょっとフィクションに逃げるみたいなことをやったりとかしながら、何とか乗り切ったなっていう感じでした。

NECとのご縁は、元々いつ転職してもいいように転職サイトに自分のレジュメを登録していました。その中でたまたまNECの方からお声がけをいただいたことがきっかけです。

面接を受ける中で、これまでのメディア企業での営業経験やマーケティングスキルが生かせそうなこと、また先ほどお話したようなダイバーシティとインクルージョンの考え方もとても許容度があって、「私は基本的にリモートで働きたくて」とお伝えしても、上司は「全然、大丈夫だから」と。差別することなく人として見てくれたので、これはいいなと思いました。

(藥師)ありがとうございます。お話の中で、障害者手帳の取得ができるよっていう話を主治医から聞いた時に、マジョリティとマイノリティの間に線引きがあるように感じて、それですごく葛藤したと、お話をされていたんですけど、そこの葛藤から見えたものとか、今それをどういう風に捉えているかとか、それが自分のキャリア観とか人生観にどういう風に結びついているか、お話いただけますか?

(新田)そうですね、自分自身もおそらく障害者とかマイノリティに対して何らかの差別というか、多分ステレオタイプで見ていた部分があったんだなと気づきました。

私という人間自体は、障害者手帳を持っているかどうかでは変わらないと思うんですけれども、やっぱり自分が社会属性上、障害者になってしまうっていうところに対してはものすごくアレルギーがあったんです。でも、それで生活がガラッと変わることって、別にそんなにないんですよね。障害者手帳を持ったからといって病気が良くなるわけでも悪くなるわけでもない。ただの制度上の線引きの問題だけなんです。

そこに対して自分自身ですら葛藤があったっていうことは、やっぱり自分の中にもステレオタイプがあったんだなということ。そこに気づけたところが、自分の許容度が上がったり、学びだったのかな、と思います。

(藥師)僕自身も発達障害だっていうのを周りに言ってなかった時期って、周りからどう見られているんだろうって不安があったと気づいたときに、やっぱりそれって自分の中のバイアスがあったんだなっていう風に気づいたきっかけにもなったので、すごく共感しながら聞いていました。ありがとうございます。

最後に、これから自分らしく生きて働くことをどう探していけばいいのかなと思ってる人たちにメッセージをいただけますでしょうか。


(新島)そうですね。2つ大きくあります。1つは、何か心が動いたらとりあえずやってみるということを、是非していただけたらと思います。ちょっと試してみるだけなら、それを一生し続けなきゃいけない訳では全然ないですし、やってみて「あれなんかちょっと違うな」とか、「じゃ何が違うんだろう?」とか、そこで得た経験からまた次に繋がる何かみたいなのが得られると思うんですよね。

あともう1つは、何かちょっと気になっていることや自分自身のモヤモヤみたいなことを、周りの方にシェアしてみる、というのも、是非やってみて頂けたらと思います。親しいお友達でもご家族でも、話しやすい方でいいと思います。

意外に近くの方がサポートしてくださることもあるし、自分が思っていた以上に気にしなくてもよかったこともあるかもしれないし、そこでまた新しい何かがあるかなと思うので応援しています!

(藥師)ありがとうございます。新田さんもお願いします。

(新田)先ほどお話ししたところにも重なりますが、やっぱり自分は何が好きで、自分は何が得意かっていうことを、一旦、自分のマイノリティ属性だったり障害っていうところに関係なく、考えてみるのも良い機会なのかなと思います。

その部分って、若いときに一回考えておくと、その後の人生とても糧になるなと思います。今日のお話が参考になれば嬉しいです。

(藥師)ありがとうございます。僕自身はやっぱり、特に就活のタイミングで、トランスジェンダーで発達障害だから生きることとか働くことに葛藤するのかなと思っていました。でもそうじゃなくて、みんな表向きにはすごくキャリアがトントンとスムーズに行っているように見えたりとか、すごく目的が明確に見える人が多いんだけれども、実は…って聞くと、いろいろ迷ったり葛藤したりしてるっていうのは誰でもそうであって、マイノリティ性があってもなくてもそうなんだなと思っていますし、その迷った数だけ、選択肢とか可能性が見えてきて、それが自分らしさとかに繋がっていくのかな、と思いました。

そういったジャーニーを今日皆さんでシェアできてすごく嬉しいなあというふうに思います。皆さんにとっても自分だけのジャーニーがこれからあるといいなあというふうに思います。今日はどうもありがとうございました。