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Update on :2020.06.25

節目が来れば、変化もある。それを信じて前へ進むしかない

青木祐成さん
野村證券株式会社
外国為替部

企業戦士の会社人間がある日、虚を突かれる出来事で人生のターニングポイントに。転職した会社で出会った同僚に支えられ様々な気づきをえて、人生観が変わった。いまはダイバーシティ・アライでリーダー的存在になった青木祐成さんにダイバーシティ&インクルージョン(以下、D&I)のお話を伺った。

 

青木 祐成さん
野村證券株式会社 外国為替部 エグゼクティブ・ディレクター&MCV(マルチカルチャー・バリュー)ネットワーク・リーダー


バブル期に新卒で山一證券に入社したが、1997年の金融崩壊で会社が自主廃業。その後銀行を経て野村證券に2007年転職。外国為替等の金融取引のシステム開発を担当したことをきっかけにトレーディング部門の企画業務を担当するようになった。2013年にサイクリング中の転倒事故により脊髄損傷の大けがを負い、四肢に麻痺の残る身体となった。退院後に仕事復帰したころからD&Iに興味を持ち、のちに多文化・LGBT・障がいがテーマのMCVネットワークのリーダーに抜擢された。


マイノリティになることに、抵抗感があった




 事故直後は、マイノリティになることに抵抗があったという。

「事故当時は、リハビリで身体が良くなると思い込んでいました。だから、障害者手帳を申請するとき、『障害者手帳はなくてもいいんじゃないか』と違和感を感じていました。しかし、6年経った今、現状では脊髄の傷は治ることはなく、そのため麻痺がなくなり元に戻ることはないことを受け入られるようになりました。障がい者として認定されることは必要なことでした。

 リハビリをする中、もともと趣味でやっていたテニスを再びやることを目指していたところ、障がい者立位テニスの団体に出会い、様々な障がいをもつ人とテニスをする機会をえました。昨年は初の立位テニス全国大会に出場するなど、自分なりの挑戦を続けています。」


ケガにより、働くことへの考え方が変わった


 7ヶ月の休職を経て、復職したときの気持ちを、青木さんはこう振り返る。

「もう働けないかもと思っていたので、復職できたときは嬉しかったですね。当時から外国為替取引に係る企画業務に就いていて、あまり身体を使わなくて済むこともあり、ケガをする前と同じ業務を続けることができました。会社に通うのが当たり前だったときは愚痴をこぼすこともありましたが、働けなくなる可能性もあったなかで、また社会と係わり働けることがどれだけ有難いことか気づきました。また、復帰の時の周りの仲間の温かい歓迎や、日常のドアを開けてくれるなどのちょっとした心遣いが、大きな支えになりました。昨年から、障がい者社員を対象に通院休暇制度もでき、病院に行く度に有給休暇を消化することなく通えるようにもなったのも助けになっています。

一方で、生き方・働き方の軸は変わりましたね。ケガを経験したことで、自分や家族のことを大切にしようと思うきっかけにもなりました。それまではいわゆる会社人間だったのですが、自分の健康を犠牲にしてまで働くことはないんだというふうに考えるようになりました。」


接することで、気づきがある


TRPの写真
アライ上司イベントの写真


 ケガがなければ、D&Iに興味を持つこともなかっただろう、と青木さんは語る。今ではMCVネットワークのリーダーを務めるなかで、D&Iについての考えを伺った。

「入院生活で、周りに色々な職業の人たちと出会いました。例えば、建設現場などで働いていた人たちと話していると、『同じケガでも以前の様に働けなくなる人が数多くいること、退院後の生活に不安を抱えていること』を認識しました。まさに、障がい者の生の声を聞きました。

 この様な経験をきっかけに、MCVネットワークに参加したことで、LGBT当事者、様々な障がいを持つ人、外国人などいろいろな人と接する機会が増え、D&Iについてもっと深く考えるようになりました。

 MCVのネットワークのおもしろさの一つは、障がい、LGBT、多文化と3つのテーマにおいて、理解促進を行うネットワークであること。障がい者だから、LGBTだから、外国人だから、個々を見ずに言葉の分類によって見失うこと、理解が足りないことによる先入観や無意識に偏見を持ってしまっていることも少なくないからこそ、共通のテーマとして横断的に連携しながら取り組む意義があると思っています。

  例えば、2019年の秋に社内で開催したLGBTをテーマにしたパネルには、外国籍のゲイ社員とカミングアウトを受けた日本人上司が登壇し、そのふたりと仕事上のつながりもあることから障がいをもつ私がモデレーターを務めました。その体験談は多くの社員に共感をもっていただき、MCVがフラットで横断的なネットワークならではのイベントでした。」

D&Iは、終わりがない


 いまでは社内で外国籍の社員も増え、ともに働く機会が多くなっているという。

「私自身、当初は多文化であるチームに戸惑いもありました。しかし、こういうやり方もあるんだなあと気づきはじめてから、日本流のやり方に固執する必要もないと思うようになりました。自分のやり方も認めつつ、相手のやり方も認めるという姿勢をお互いがもっていることが大事だと感じています。

多文化に限らず、多様な人たちを受け入れる職場になるのには、ひとりでも多くの社員に、まずは知ってもらうこと、そして、考え、意識し行動することを浸透させていくことが必要です。社内ボランティアは地道な活動でもあります。しかし、私たち有志は、絶えず情報を発信し続けること、学び続け、周りを巻き込んでいくことが大事だと考えています。

 例えば、野村ホールディングスはLGBTのアライであることを示す、レインボーのアライステッカーを社員に配布していて、多くの社員がそれを貼ってくれています。このような取り組みを通じて発信し続けることで、目に触れたり、耳に触れたりすることで、理解を深めるきっかけづくりは、とても大事な取り組みです。一方で、そういうのがいつかなくなってしまえばいい。わざわざ貼らなくても、みんな当たり前にアライであったら嬉しいですよね。それまでは時間がかかるかもしれないけれど、一歩一歩良い方向へ向けて進む活動としてD&Iに取り組み続けたいと思っています。」


うまくいかない日々にも、区切りが必ず来る


Music of my country のイベント写真

 ケガをした経験を通じて学んだことはたくさんあると、青木さんはいう。最後に、Diversity Worksの読者に向けてメッセージをいただきました。

「事故直後の寝たきりの時はナースコールのボタンも押せず、寝返りも人の手を借りなくてはならない絶望の日々でした。『一生寝たきりかもしれない』と負のスパイラルに落ち込んでいました。でも、ある日、『同じケガの人が1か月後ぐらいで歩けるようになった』と看護師さんに聞き、何の根拠もなく自分もできるんだとネガティブに考えるのをやめました。

そこからとにかく、ポジティブになろうとがむしゃらに思考を変えようと努めました。また、周りに助けてくれる人も、わかってくれる人もいるということに気づきました。

 読者の多くの方は、まだまだ若く多くの可能性や選択肢をもっています。その中で向上心は持ち続けて欲しいです。人生の中で上手くいかなかったことは次のチャレンジにつながる一歩。失敗だと思ったら失敗だけど、失敗じゃないと思えば失敗ではない。失敗やうまくいかない日々にも終わりというか、区切りが必ず来るし、その節目が来れば、変化もある。それを信じて前へ進んでほしい。」