「BEAUTY INNOVATIONS FOR A BETTER WORLD(ビューティーイノベーションでよりよい世界を)」。こちらは、日本が世界に誇る化粧品メーカー・資生堂が掲げる企業ミッションです。資生堂は、このミッションの実現のためにはダイバーシティ&インクルージョンが必要であり「障がいについても、多様性の一つとして考えています」とホームページに明記しています。
今回お話しを伺ったのは、障がい者採用で資生堂に入社し、今年で2年目になる橋村さんです。入社してうれしかったこと、大変だったこと、変わったこと。多様性あふれる資生堂での、これまでの日々を語っていただきました。
橋村天衣 さん
資生堂ジャパン株式会社
プレステージブランド事業本部 首都圏支社 営業・美容サポート統括部 営業サポート部
2023年、資生堂入社。首都圏エリアの化粧品専門店を扱う部署で、SNSやECサイトなどデジタル関係の施策立案・推進や、実績集計・データ分析などを担当。
資生堂に惹かれたきっかけは「あなたらしい格好で」
まずは橋村さんが資生堂に興味を持ったきっかけを教えてください。
橋村さん「私は発達障がいを持っており、大学でも障がいのある生徒として登録をしていました。毎年、障がい登録をしている生徒を対象に、企業から求人メールが来るんです。そこに資生堂の名前がありました。資生堂はダイバーシティ採用という障がい者採用を行なっていて、そのダイバーシティ採用のインターンシップの案内が届いたんです」
「インターンシップの案内は他の企業からも届いていました」と橋村さん。その中で橋村さんが資生堂を選んだのは、服装に関するこだわりからでした。
橋村さん「私は、スーツを着るのがとにかく嫌だったんです。レディーススーツもメンズスーツも、自分らしくないと感じていたからです。そんな中で資生堂のインターンシップの服装規定には、『あなたらしい格好で』と書かれていました。ここなら、スーツを避けられるかもしれない。最初はそんな思いから、資生堂に興味を持ちました」
そして迎えたインターン当日。橋村さんはスーツではなく、規程の通り「自分らしい」格好で参加したといいます。
橋村さん「就活をする中で、服装自由は形だけという企業もよくあると聞いていたのですが、資生堂では苦言を呈されたり、好奇の目で見られたりするといったことはまったくなく、インターンに集中することができました。それはつまり、自分らしくいられたということです。もちろんスーツの人もいたけれど、学生だけでなく資生堂社員の方々も、皆さん思い思いの服装をしていました。この会社ならやれるんじゃないかと、感じました」
インターンでは、どんなことを行なったのでしょうか。
橋村さん「インターン期間は2日間で、グループワークがメインでした。『ある製品の売上を改善するために何をするか』という具体的な課題が出たことを覚えています」
「実際の業務に近い経験ができた」と、社員になった今の立場から当時を振り返る橋村さん。大学時代にも、マーケティングなどを勉強されていたのでしょうか。
橋村さん「いえ、大学では芸術分野、中でも演劇を専攻していました。映像を作ったり、脚本を書いたり、演者をやったり。インターンでやったこととは、少し畑が違いました。でもホームページなどで資生堂という会社を調べると、よく『アート&サイエンス』という言葉が出てくるんです。資生堂のギャラリーがあったり、広告やパッケージにもこだわっていたり、アートの心を大切にしている企業であることは、入社前から知っていました。自分の専攻との共通点を感じました」
学生と社会人の違いは「多様な価値観を持つ人たちと、向き合っていく必要がある」こと
こうして出会い惹かれ、橋村さんが資生堂に入社したのは2023年のこと。しかし橋村さんの社会人生活のスタートは、順風満帆ではなかったと言います。
橋村さん「学生と社会人で、一番差が大きいと思うのは人間関係です。学生時代の私は、嫌な思いをさせられたら、その人とは関わらない、距離を置くというのが基本でした。ですが会社に入ると、自分で他の社員との距離を決めることはできません。多様な価値観を持つ人たちと、向き合っていく必要がありました」
橋村さんが社会人になって最初に抱えた課題。それは自分自身の言語化でした。
橋村さん「自分はこういう人間で、こういうことが好きで、こういうことが嫌い。入社まではそれを言葉にしてきませんでした。改めて、自分の特性やアイデンティティに向き合うことが、社会人として人間関係を築いていく上でのスタートになりました。とくに障がいについては、当初は上司にもうまく伝わっていない感じがありました。何が得意で、何ができなくて、どんな配慮を求めるのか。ひとつひとつ言語化して、説明して、今はすごく良好な関係を築けています。自分のことをちゃんと相手に伝える。それが社会人の責任のひとつであることを実感しています」
また橋村さんは「ダイバーシティ」という言葉についても、学生時代と今で考え方が変わったと言います。
橋村さん「学生時代はどこかお客様気分で、資生堂のホームページに出てくる『ダイバーシティ』という単語を見ても、自分がどれだけ受け入れられるか、ということばかりを考えていました。でも、多様な人たちと接する中で、自分はある側面ではマジョリティであることに気づいたんです。ダイバーシティ採用で入社した同期が4人います。そのうちの1人は腕に障がいがあり、重たいものを持てなかったり、ドアが開けづらそうだったりということが、研修の頃からありました。相手にはできないけれど、自分にはできることがある。それを目の当たりにしたときに、『自分はいつでもマイノリティの当事者だ』という考え方を改めました。マジョリティとしての接し方も意識するようになったんです」
「おめでとうは、その時までとっておくね」その一言がうれしかった
現在入社2年目。資生堂に入って行動も意識も変わったという橋村さん。では資生堂に入ってうれしかったことを教えてください。
橋村さん「昨年の10月に東京都のパートナーシップ宣誓制度を使って、同性のパートナーとパートナーシップ宣誓をしたんです」
橋村さんはLGBTQ+の当事者という一面も持っています。パートナーは、職場の同期とのこと。
橋村さん「その時はまだ入社して半年ぐらいだったので、パートナーシップというものが、社内でどう扱われるかもわかりませんでした。すると、たまたま自分の部署内に、同性パートナーとの事実婚関係を異性同士の事実婚と同じ扱いにして、福利厚生の適用対象にしようという活動をされていた方がいたんです。その方が『大丈夫、同じ扱いだよ』って教えてくださって。その制度が整っていることが、まずうれしかったです」
パートナーシップ宣誓制度を巡っては、もうひとつうれしかったエピソードがあると橋村さん。
橋村さん「東京都のパートナーシップ宣誓制度に申請する前に、事実婚認定のための申請書を会社に出したんです。そのときに『今後パートナーシップを結ぶ予定はあるの?』と上司に聞かれたので、『10月頃申請をする予定です』とお答えしました。すると上司は『じゃあ、おめでとうはその時までとっておくね』と。同性パートナーにとって、パートナーシップ宣誓が大切なイベントであるということ、それを認識している上司がいてくれることがすごくうれしかったですね」
同性パートナーがいるということを、社内では元々オープンにしていたのでしょうか。
橋村さん「カミングアウトという大きなイベントはしていませんが、『彼女がいて』とは日常的に話していました。私は正直、同性のパートナーがいるということを、そこまで特別なことだと思っていないんです。私以外にも、社内でオープンにしている方は多いです。それで差別的なことを言われたり、変な目で見られていると感じたりしたことはほとんどありません」
社内のLGBTQ+イベントにも、パートナーと参加する。それが橋村さんにとっての楽しみになっていると言います。
橋村さん「去年は、社内食堂でトランスジェンダーの方を交えてお話する『超女子会』というイベントに参加しました。勤務が終わったあとなのでご飯やお酒も自由で、とても楽しかったです。今年の東京レインボープライドのパレードにも、パートナーと一緒に参加しました」
そういったLGBTQ+イベントの開催や東京レインボープライドの参加などは、いわゆるERGが中心になって行っているのでしょうか。
橋村さん「いえ、今でこそ資生堂にも会社主導のLGBTQ+のERGがありますが、これができたのは本当に最近のことなんです。今までは社内全体の掲示板でイベントの告知があり、参加したい人はどうぞという形でした。自分も、一社員として参加してきましたね。ERGという枠はなくても、積極的に推進活動を行なっていこうという風土があったと言えるかも知れません」
そしてそういった積極的な姿勢は「イベント以外にも感じる」と橋村さん。
橋村さん「オフィス内に映像を映し出すモニターがたくさん置かれているのですが、そこには東京レインボープライドのパレードに参加した時の映像が流れているんです。また、アライ宣言をした人にはレインボーのネックストラップが贈られるのですが、それをつけて歩いている人が社内に当たり前のようにいます。イベントをするだけでなく、その盛り上がりを継続することが大事だと自分は思っています。それができているという点も、資生堂のいいところだと思います」
それでは最後に、この記事をご覧の皆様に橋村さんからのメッセージをお願いいたします。
橋村さん「私は発達障がいとLGBTQ+の当事者であるという部分で、マイノリティ性を持っています。そんな中で就職活動を始めましたが、私にとってちょっとでも安全じゃない、安心じゃない環境におかれるのはどうしても嫌でした。だから、ほんのちょっとでも違和感を抱いたら、エントリーをやめるということもよくありました(笑)。皆さんも、自分に合った環境を貪欲に求めて欲しいと思います」